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移動は「行動の原点」…車いすテニスプレーヤー・船水梓緒里選手にとっての “移動のよろこび”
KINTOが掲げるビジョン。「モビリティプラットフォーマーのトップランナーとして、一人ひとりの『移動』に『感動』を」。
このコーナー「あなたにとって“移動のよろこび”とは?」では、さまざまな方の人生の軌跡を通じて、車があることで生まれる心の変化や、移動が連れてきてくれる新しい自分の姿などを、じっくり見つめていきます。
これまでKINTOは、車のサブスクリプションサービスの枠を超え、多様な「移動のよろこび」を届けてきました。自然の中で豊かな時間を過ごす体験型イベント「モビリティキャンプ(モビキャン)」、モータースポーツを身近にする「MOTORSPORT by KINTO(MOSKIN)」、車いすの方や介護が必要な方の移動をサポートする福祉車両サブスク「KINTO care」。
そして今、このビジョンを自らの生き様で体現するアスリートが、KINTOの一員として走り出しました。車いすテニス、車いすピックルボール、パラトライアスロンなどマルチに活躍するアスリート、船水 梓緒里(ふなみず しおり)選手です。
世界を舞台に、スポーツを通じて感動を届けるアスリートにとっての“移動のよろこび”とは。船水選手の想いを聞きました。
船水梓緒里選手 プロフィール
2000年11月8日生まれ、千葉県我孫子市出身。中学1年生の時に海での事故により、車いす生活となる。その後、同郷の国枝慎吾氏の活躍に憧れ、2016年4月より本格的に車いすテニスを開始。千葉県柏市の吉田記念テニス研修センター(TTC)を拠点に、競技開始からわずか4ヶ月でジュニア大会優勝を飾るなど急速に才能を開花させ、2018年には世界ジュニアランキング1位に上り詰めた。2022年にはグランドスラム(四大大会)初出場を果たし、シニア世界ランキングは最高11位を記録。現在は車いすテニスの枠を超え、パラトライアスロン(PTWCクラス)でも2025年アジア選手権、2026年ワールドシリーズ(デボンポート大会)で優勝を飾るなど、世界トップクラスのマルチアスリートとして活動。また、車いすピックルボールでも優秀な成績を収めている。筑波大学卒業後、IT企業などでの活動を経て、2026年4月より株式会社KINTO所属。多方面でパラスポーツの可能性を広げている。
スポーツ一筋の少女時代、突然の「移動の自由」の喪失
船水選手は、幼い頃からアクティブに体を動かす環境で育ちました。
「運動好きの父の影響もあり、小さい頃からスキーや水泳、中学ではソフトボールなど、とにかく体を動かすことが大好きなアクティブな子供でした 」
しかし、その日常は中学1年生の夏、サーフィン中のアクシデントによって一変します。
「当時は自分の状況をどうしても受け入れられず、家に引きこもりがちになりました。何より辛かったのは、友達と出かけるための『移動』そのものが高いハードルになったことです。当時の最寄り駅にはエレベーターがなく、電車に乗るのが大変で。駅員さんの対応を待つために1~2本は必ず電車をやり過ごさなければならず、友達に迷惑をかけてしまったりするのもすごく嫌で…」
彼女を追い詰めたのは、移動が「ストレスと不安、そして悲観的な気持ちの対象」になってしまったことでした。
皆勤賞の誇りと「移動の重圧」
それでも、船水選手が不登校になることはありませんでした。彼女の背中を押し続けたのは、「車いすでも、大好きなこの学校に通い続けられることを証明する」という、ご両親との固い約束、そして彼女自身の折れない意志でした。
「親が厳しかったので、何が何でも行きます、という感じで。(小学校に続き)中学でも皆勤賞でした。中学の時は学校までの道が坂だったので両親に車で送ってもらい、高校の時も、最寄り駅までは歩道橋を渡らないと駅まで行けなかったので、駅まで送ってもらって(そこから)電車に乗って。でも、朝の混雑の時間に車いすでバスに乗ると迷惑になってしまうので、学校の最寄り駅から学校までは車いすで20分~25分ぐらい漕いで通っていました。でも友達が優しかったので、学校に行くこと自体にネガティブな気持ちはなかったです」
しかし一方で、学校という「知っている人」ばかりの場を一歩出ると、景色は一変します。
「土日に電車を使ってどこか行くというのが嫌でしたね。学校の目はもう気にならなかったのですが…私が車いすになったことを知っているし、立っていた自分のことも知ってくれているから。でも外に出ると、車いすになる前だった自分のことは知らない人たちと出会うので、同情の目線などが嫌でした」
車いすスポーツとの出会いで手に入れた「自立」への切符
引きこもりがちになった彼女を救ったのは、やはり大好きな「スポーツ」の世界でした。とは言え、最初は「車いすでスポーツをすること」自体に抵抗感があったといいます。
「両親は、私がこのまま閉じこもってしまうことを心配して、いろんなスポーツの場に連れて行ってくれたんです。でも、正直なところ当時は嫌でした。車いすでスポーツをすることは、車いすの自分を受け入れることのように思えて、抵抗感があったんです」
そんな彼女の心を溶かしたのは、あるテニスクラブでの、エネルギッシュな光景でした。
「そこで出会ったのは、私よりずっと小さな小学生たちが、車いすで元気に鬼ごっこやかくれんぼをしている姿でした。徐々に車いすに対するイメージも変わっていきましたし、小学生に『お前、車いす漕ぐのおせえよ』『勝てるよ』とか言われたのが悔しくて。『子どもたちに負けてられるか!』と無我夢中で練習するうちに、テニスの魅力にのめり込んでいきました」
車いすテニス界のレジェンド、国枝慎吾選手が地元の近くにいたことも、彼女の背中を押したといいます。そして、スポーツのスキルが向上することは、そのまま彼女の「自立」へと直結しました。
「車いすを操るスキルが上達して、駅員さんを呼ばなくてよくなったのが自分的に大きな違いで。乗りたい電車にすぐ乗れますし、乗り継ぎも簡単に一人で移動できる。駅員さんに頼むストレスや、同じ車両に乗っている方に一度電車を降りてもらって(車いす乗車用の)スロープをかけて…という申し訳なさがなくなった。そういった点が、すごく自分的に自立できるようになったなと思います」
身体の自由度が、心の自由を広げていく。かつて移動を「不安」の対象として捉えていた船水選手は、スポーツを通じて、その先に広がる「自立」を見つめ始めたのです。
クルマという「行動の原動力」が生み出した自立
高校卒業と同時に、船水選手は迷わず運転免許を取得します。
「自分の好きな時間に、誰にも頼らず、自分の力で移動したい。その思いが原動力でした。とは言え、教習所に通うのも一苦労で、手動装置がある車両を備えた学校はごくわずか。それでも、福祉車両の送迎バスを使いながら通いました」
そして念願の免許取得。最初に選んだ相棒は、マツダのCX-5。顔がかっこいいSUVで燃費もよく、趣味の(チェア)スキーにも行ける四駆性能を備えた一台でした。
「車を手に入れてから、気持ち的に楽というか、周りに迷惑がかからないというのが一番で。あと、車なら坂道も段差も関係なく、どこへでも一人で行ける。行動範囲が広がったなって思います。親に頼らなくてよくなったことも嬉しかったですね」
彼女は文字通り、この車で「どこへでも」行きました。
「大学生活は、365日ほとんど車と共にありました。(通っていた)筑波大学は敷地が広かったので、教室の移動も、練習場への移動も全部車。学生の時も、今も、ほぼ毎日車で移動しています。車だったら好きな時間に出て、好きな時間に帰ってこられる。そういう意味でも自由を手に入れたっていう感覚ですね」
車を手に入れたことで、友人関係にも変化が。かつては「待たせて申し訳ない」と引きこもりがちだった彼女が、今度は「私が運転するから、車で出かけよう!」と誘い、友人を乗せてドライブを楽しむようにもなったのです。
良き相棒、ヴェルファイアと「手動装置」
船水選手の運転を支えるのは、「手動装置」という特殊なメカニズムです。これは、左手一本でアクセル、ブレーキ、サイドブレーキなどを操作できる仕組みです。
「右手はハンドル操作に専念しますが、基本は片手操作になるため、スムーズに回せるようハンドルには丸い『ノブ(グリップ)』をつけています。家族や友人が運転する際には通常通り足で操作できますし、誤操作防止のロック機能も備わっています」
現在、競技用を含め多いときで3台の車いすと、海外遠征の時は空港までスーツケースも運ぶ必要があるという彼女の移動を支えるのは、トヨタのヴェルファイアです。
「テニス用の車いすやトライアスロン用のハンドバイクは高価なものなので、ぶつけて軸が曲がったりすれば、競技に参加できなくなってしまう。だから、基本的には自分で管理して運びたいんです」
「競技用車いすは、車輪を外してコンパクトにしてから出し入れします。荷室の縁に腰かけて作業をするのですが、以前乗っていたSUVは車高が高く、持ち上げるのが一苦労でした。その点、ヴェルファイアは床面が低いため、スムーズに機材を積み込むことができます」
「障害の程度によっては車体部分を運転席経由で助手席に乗せる方もいますが、いずれにせよかなりの力が必要な作業です」
「特に雨の日は機材も自分も濡れてしまうため大変です。日常の移動は3列目のシートのみ跳ね上げていますが、大会の時など荷物が多いときは2列目シートも最前方へスライドして使用しています(最大積載モード)。また、私はリハビリの結果、立ち上がって数歩歩くことができるため、日常用の車いすは、後部座席に自分で持ち上げて収納しています」
大量の機材を積み込んだヴェルファイアは、まさに、彼女にとっての良き相棒です。
世界で知った「移動のよろこび」と「新しい価値観」
世界中を転戦する中で、船水選手は多様なモビリティ事情と、それ以上に多様な「人間力」に触れてきました。インフラが不便な場所ほど、周囲の人が当たり前のように手を貸してくれる。そんな体験も、彼女の心に深く刻まれています。
「アメリカやオーストラリアは、インフラが驚くほど整っています。一方で、ヨーロッパは石畳が多く、電車に乗るのも数段のステップを越えなければならない不便な場所も多い。でも、そこには別の『移動のよろこび』がありました。不便な場所であればあるほど、周囲の人が当たり前のように手を貸してくれるんです。予約なしでは電車に乗れない不自由さも、人の優しさで埋めてくれる。石畳が多くても、押すよと声をかけてくれる。人と人の関わりができるので、それはそれで(不便だとしても)いいなって思います」
また、海外の選手たちのマルチな生き方も、船水選手に「新しい価値観」を運んでくれたといいます。
「遠征先では、普通の生活をしていると関わらない国籍や地域の人に出会えます。海外の選手は驚くほどポジティブでアクティブ。日本だと一つのことを集中してやるのが偉いという考えが多いと思うんですけど、彼らは夏も冬も別のスポーツをやったり、仕事もやったり、マルチなんですよね。そんな姿を見て、『私もマルチにスポーツやっていいんだな』と勇気づけられました」
移動は、手段ではなく「行動の原点」
インタビューの最後、船水選手に改めて問いかけました。あなたにとって、“移動のよろこび”とは何か。彼女は少し考えた後、力強く答えました。
「私にとって移動は、手段じゃなくて『行動の原点』です」
「目的地に行けなければ、スポーツも、新しい出会いもありません。そこに移動するためには競技用の車いすを持っていかなければいけないし、電車ではとても移動できない。車があるからこそ、私はスポーツができる。移動できることは、私の行動力や、自分に対する自信に直結する『よろこび』なのかなって思います」
かつて、駅のホームで「透明な壁」に阻まれていた一人の少女。彼女を救ったのは、自らの意志で動き出す勇気と、それを支えるモビリティの力、そして何より、同じ境遇で前を向く仲間たちの存在でした。
「私自身、車いすになった当初はネガティブな気持ちしかありませんでした。でも、車いすでもスポーツができる、こんなにも速く走れるんだという姿を見て、大きな勇気をもらったんです。どん底を経験した人たちが放つ、ポジティブで力強い言葉って、スッと心に入ってくるんですよね。そういう人たちに後押しされたからこそ、今の私は車いすになった自分を受け入れられていますし、『そんな自分も悪くないな』って、思えているんです」
「自分の好きなことや、やりたいことに向かってアクションを起こしてみることは、すごく自信につながります。自分をそのまま受け入れられる場所やコミュニティを見つけることができれば、それだけで自分を好きでいられる。今の私は、今の自分がとても好きです。皆さんにも、そんな大切な何かが一つでも見つかるといいなと思っています」
編集後記
2日間に渡りインタビューや練習風景の撮影をさせていただき、すっかり船水選手のファンになってしまったKINTOマガジン編集部。私たちには想像もできないような辛い経験を経て、「そんな自分も悪くないな」と笑える、しなやかな強さとポジティブなオーラを身に着けた船水選手。車いすでコートを縦横無尽に移動する姿はキラキラ輝いていて、その姿を見るだけでも勇気をもらえる時間になりました。「移動」と一言に言っても、人によって見えている世界が違うからこそ面白い。そんな移動のよろこびをKINTOマガジン編集部はこれからも追いかけていきたいと思います。
<聞き手・撮影>岡崎 万里絵
<編集>KINTOマガジン編集部
<協力>株式会社KINTO 所属 / アスリート 船水 梓緒里
<撮影協力>
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