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日本中の外国人街を歩いたルポライターが厳選。日本の中のディープな異国、外国人タウンを歩こう
海外に行けないのならば、「日本の中の」海外に足を運んでみるのはいかがでしょうか。実は日本には海外の方が多く住むコミュニティがたくさんあり、そこに暮らす人々のルーツに根ざした、魅力的な文化が息づいているのです。日本中の外国人コミュニティを取材する室橋裕和さんが、東京、そして群馬に根を張る魅惑の「外国人街」を案内してくれました。
僕は日本有数のエスニック・タウン、東京・新宿区の新大久保に住んでいます。ここにはさまざまな国の人々が暮らしていて、僕はライターとしてその姿を発信しているのですが、こうした「外国人街」が日本各地にずいぶんと増えてきました。韓国、台湾、ベトナム、ミャンマー、あるいはブラジルなど、そこで暮らす人々の国籍やルーツは、まさに多様で、それぞれの街にユニークで魅力的な文化が息づいています。本稿では、そんな外国人街の魅力をお伝えするべく、東京都内と、東京から訪れやすい場所にあるいくつかの街の様子をお伝えしたいと思います。
文化、味、そして交流。外国人街の魅力
外国人街には、それぞれの国の人々が日常使いしているレストランがたくさんあり、日本人の味覚に寄らない、現地そのままの味が楽しめます。またエスニック雑貨店も点在していて、珍しい食材や調味料がずらりと並んでいるのもなんだかわくわくします。お寺やモスクといった宗教施設も見かけますが、誰でも歓迎してくれるでしょう。
そんな場所で、ふだん触れ合うことのない外国人と交流してみるのも楽しいものです。たいてい日本語がわかる人がいるものだし、話してみると日本人よりも距離感が近くフレンドリーな人が多いと感じるのではないでしょうか。
それはまさに海外旅行にも似た体験。日本の中にこそディープな異国があったのだと、コロナ禍で現地に行きにくいいまだからこそ再発見できるのです。
いまやコリアンタウンだけにあらず。多国籍文化が行き交う新大久保を歩く
「日本の中の異国」でとくに規模が大きいのは、僕が暮らす新大久保でしょう。一般的には「コリアンタウン」というイメージかもしれません。確かに山手線の新大久保駅を出て右に進めば、そこは韓流のショップや韓国料理のレストランが密集し、韓国エンタメファンで大混雑していますが、ここは外国人タウンというよりは観光地。2002年のサッカー日韓ワールドカップや、ドラマ『冬のソナタ』のブームを機に、韓流の店が急増した場所です。
生活の匂い漂う外国人タウンとしての新大久保は、駅を出て左。こちら側は東南アジア、南アジアの雰囲気がたっぷり。とくに駅から大久保通りを渡って、路地を北に少し歩くと、さまざまな文化圏の食材店やレストランが見えてきます。
このあたりには80年代からミャンマー系イスラム教徒や、マレーシア人など東南アジアの人々が住んでいて、いまも雑居ビルの中にモスクがあることから「イスラム横丁」と呼ばれるようになったのですが、実際にはさまざま民族、宗教のるつぼです。ネパール料理店と韓国系の床屋が隣接し、国際送金会社もあれば、中国人留学生が利用する書店があったりもします。アフリカの民族衣装姿も見かけます。
面白いのは、この人々の共通語が「日本語」であること。食材店でも中古スマホの店でも、本来異なる言葉を使う外国人同士が日本語でやりとりしています。「元気?」「もっと安くして」なんて会話が聞こえてくるんです。ときおり「らっしゃい、らっしゃーい」なんて、いかにも商店街らしい威勢のいい声が聞こえてきたりもしますが、その声の主はネパール人だったりします。ほかにもインド人やバングラデシュ人、パキスタン人の間ではヒンドゥー語も使われていますが、加えて日本語を軸とする多様なコミュニティが、ここには広がっています。
そんなイスラム横丁でも評判になっている店が、2021年8月にオープンした「シディークナショナルマート」でしょう。
パキスタン人経営の店で、多種多様なスパイスや調味料、パキスタン直送のマンゴーなどが並んでいますが、ひときわ目を引くのは色とりどりのスイーツ。
パニールというチーズをカルダモン風味のミルクソースに漬け込んだ「ラスマライ」、ミルクのナッツのケーキ「パルフィ」など、日本ではまだ珍しい品がたくさん。それにパキスタン風のハンバーガーやピザ、ダルチャワル(豆カレー)といったストリートフードも充実しています。
エスニック食材店が並ぶ様子はアジアそのもの
こうしたエスニック食材店が、新大久保駅から大久保駅にかけて点在しています。ハラル(イスラム教の戒律で食べることを許されたもの)食品の店のほか、1棟まるごと中華食材店なんてビルも2軒。さらにベトナム、ネパールなどさまざまで、これを巡り歩くのが楽しいんです。職安通りのほうに行けば、タイ食材の店もあります。
もともと大久保界隈には戦後に住み着いた韓国や朝鮮、台湾の人々がいましたが、さらに多国籍化が進んだのは高度経済成長期からバブル時代にかけてのこと。新宿・歌舞伎町で働くようになった中国、東南アジア系の人々も、大久保で暮らしはじめます。また1930年代から日本語学校が多かったため、留学生の街でもありました。
これが大きく変わるのは21世紀に入ってから。前述のとおり、ワールドカップと第一次韓流ブームの中、観光客が大挙するコリアンタウンへと変貌していきます。
一方で2010年代からは東南アジアや南アジアの人々も急増しました。留学生の受け入れをさらに拡大したこと、外国人材を活用する動きが広がったことが背景にあります。日本の少子化や労働力不足を外国人で埋めようという国の政策ですが、このため従来から外国人住民の多かった新大久保がさらに活気づくことになります。
新宿が間近という便利な立地もあって、いまや新大久保の30〜40%が外国籍(※)となっています。そこに大きな商機を見た外国人ビジネスマンが、どんどん食材店やレストランを開いていく。すると、今度は新大久保に住んではいなくても、買い物に行こう、食事に行こうという外国人が、都内や首都圏各地から集まってくるようになる。
「これだけたくさんの食材店が集まっている街はほかにないよね。友達と待ち合わせて、値段を見比べて買い物して、食事をして。故郷に送金もできるし」なんて話す外国人もいます。駅の東のコリアンタウン側が日本人韓国エンタメファンにとっての観光地なら、西の食材店密集エリアは外国人にとっての観光地といえるのかもしれません。
※新宿区発表資料「住民基本台帳人口 町丁別男女別人口及び世帯数(令和4年6月版)」によると、一般に「新大久保」と呼ばれるエリア、百人町1〜2丁目、大久保1〜2丁目の人口は19,791人。うち、外国籍の方は6,848人と、実に34.6%を占めている。
神さまもたくさんいる街、新大久保
そしてこの街には食事や買い物だけでなく、祈りの場もあります。イスラム教のモスク、ヒンドゥー教の寺院、キリスト教の教会。それに日本の神社もあれば、お寺もある、神さまがたくさんいる街でもあるのです。
とりわけ大久保駅の近くにある東京媽祖廟(とうきょうまそびょう)は、極彩色のハデハデな外観がなんとも印象的。台湾や中国・福建などで信仰されている海の女神、媽祖さまを祀っています。日曜ともなれば近隣や都内に住む台湾人が集まり、にぎやかになります。ひととき媽祖さまに祈りもしますが、お互いに近況を語り合い、国の言葉で笑い合って、異国暮らしの励みとするわけです。
そんな場所に、日本人でも自由に参拝ができます。1階でお線香をもらって(料金はなく善意の寄付です)、まずは2階の関帝廟(かんていびょう)へ。三国志の英雄、関羽が祀られていますが、その左に鎮座している月下老人という神さまは縁結びでも有名。結婚祈願に来る日本人もいるそうです。
そして3階に柔和な顔つきの媽祖さまが祀られています。心の中で自分の名前や生年月日など自己紹介をして願いごとを祈ると良いといわれます。4階は仏教の観音さまが座しているため、仏教徒のタイ人やベトナム人が参拝に来ることもあるそうです。
こうして街を巡り、食事と買い物をしていれば一日はあっという間。都内でもとりわけ濃密な、新大久保に広がる「異国」を歩いてみてはどうでしょうか。
「リトル・ヤンゴン」高田馬場でいただくミャンマーの味
新大久保の隣駅、高田馬場にもやはり「異国」が広がっています。「リトル・ヤンゴン」とも呼ばれている通り、この街の主人公はミャンマーの人々です。とくにミャンマー濃度が高いのは駅前にそびえる雑居ビル「タックイレブン」でしょう。
この中にはミャンマーのレストランや食材店、それにカラオケやカフェなどが入り、ミャンマー人経営の小さな会社がオフィスを構えていたりもしますが、最も有名なのは1階の「ノング・インレイ」です。ミャンマーの中でも、北部シャン州の料理を出しているレストランで、現地のローカル食堂を思わせるたたずまい。
ミャンマー料理の特徴のひとつは、お茶の葉を食材として使うこと。そのひとつ「ラペットウッ」は発酵させた茶葉に揚げたひよこ豆やキャベツ、トマトなどを和えたサラダです。茶葉のねっとりした食感がたまりません。
それに納豆も、ミャンマーではポピュラーな食材なんです。日本のように発酵させた豆をそのまま総菜として食べることもありますが、シャン州では納豆を伸ばして円盤状にして固め、乾燥させるんです。まるでせんべいのようですが、これを炒め物やスープなどに入れて、調味料とします。「ノング・インレイ」おすすめは、オニオンスライス、トマト、パクチーと和えるスタイルで、納豆せんべいのぱりぱりした歯ごたえと納豆そのままの香り、玉ねぎの辛みがうまいこと調和しています。
もうひとつ、シャン州ではこれもよく食べるという高菜の古漬けと、豚肉や野菜を炒めた一品は、もち米がどんどん進みます。ミャンマーの中でもシャン州は、どこか日本の食文化にも共通したものがあるのです。
これらの食材はタックイレブンの4階や、8階より上に並んでいる食材店で買うことができます。
納豆せんべいや発酵茶葉のほか、調味料やスパイス、ミャンマーのお菓子、インスタント麺などさまざま。まるでミャンマーの市場を歩いているような気分になってきます。
ミャンマースイーツのカフェもある奥深きタックイレブン
その昔、「リトル・ヤンゴン」があったのは、高田馬場から西武新宿線で2駅西の中井駅の周辺でした。
きっかけは1988年にミャンマーで起きた民主化運動です。民主主義を求めるデモを軍は弾圧。たくさんのミャンマー人が故郷を追われたのですが、その中には日本に逃げてきた人々もいました。彼らが頼ったのは、中井に住んでいた、あるミャンマー人夫妻でした。なにかと世話好きで、日本暮らしの先輩でもあった夫妻は、難民となった同胞たちを支援し、いつしか中井にはミャンマー人たちが増えていきました。
これが90年代後半になると、コミュニティは次第に高田馬場へと移っていきます。より交通の便が良いので集まりやすく、また繁華街でもあるのでレストランなど店舗の展開がしやすかったことも理由にあるようです。
2000年代にはミャンマーでもようやく進んだ民主化の影響で国民が出国しやすくなったことから、留学生や技能実習生が増加。難民として国を出ざるを得なかった人々ではなく、希望を持って来日するミャンマー人が増えたのです。
彼ら若い世代がよく行くミャンマーカラオケも高田馬場にはありますが、カフェも人気。そのひとつがタックイレブン4階にある「タウンジーカフェ&バー」です。こちらではバナナをもち米で包んだものや、セモリナ粉ベースのバナナケーキ・シュエジーなどミャンマー伝統のスイーツが食べられます。
ときに軍事政権に抗議するデモの場にも
こうして少しずつ発展してきた「リトル・ヤンゴン」ですが、いま大きく揺れています。2021年2月、ミャンマーでは進展してきた民主化の針を逆に戻すかのように、軍がクーデターによって政権を強奪。軍の圧政によって国民が苦しむ時代が、再来してしまったのです。
対してミャンマー国民もこの1年以上、粘り強く抗議活動を続けています。その動きは国外に住むミャンマー人にも波及し、高田馬場でも彼らが声を上げ、日本人にも支援を訴える街頭デモを行うことがあります。一生懸命に学んだ日本語で、いまミャンマーで何が起きているのかを伝えようとする人々の姿を目にしたら、どうか耳を傾けてほしいと思うのです。
東京から電車で2時間のブラジル、大泉町でラテンの空気を感じる
東武鉄道小泉線の終着駅、西小泉駅を出ると、そこはもうブラジルでした。駅舎はグリーンとイエローのブラジル国旗カラーでデザインされ、駅前を歩く人々も彫りの深いラテン系。そばにはブラジルやペルーの食材を売る店があって、軒先にはポルトガル語のフリーペーパーが置かれています。
駅から西に少し歩けば、いずみ緑道という公園沿いに多国籍なレストランがずらりと並んでいます。
そのうちの一軒、名前も勇ましい「ビッグビーフ」に入ると、なんだかサンパウロの下町の食堂に迷い込んだかのよう。すぐに店員のブラジル人のおばちゃんが来て、
「ブラジル料理は初めて?」
と優しい笑顔と日本語でメニューの解説をしてくれます。店名の通りがっつり牛肉の料理がいくつもあって、特大のブラジル風ハンバーガーも気になりますが、牛リブのオーブン焼きをチョイス。
「アラカルトはフェイジョンっていって豆の煮込みと、サラダ、それからご飯が食べ放題なの」
と教えられ、セルフのビュッフェスタイルでお好みで盛りつけると、けっこうなボリューム。すぐに運ばれてきたでっかい牛肉は、あっさりしたフェイジョンとよくあってどんどん進みます。
まわりを見渡せば地元の人たちか、ポルトガル語でさきほどのおばちゃんと笑い合う家族連れもいて、陽気で和やかな空気。
ここ大泉町は、ブラジル人がたくさん住んでいることから「リトル・ブラジル」とも呼ばれています。都内から電車や車で2時間ほどの距離で、駅からは歩いて見どころを回ることができるため、手ごろにブラジルの空気をたっぷり味わえる街として人気となっています。
ブラジルの空気が充満するスーパー「TAKARA」を訪ねる
「リトル・ブラジル」といっても、この街で暮らすブラジル人はその多くが日系人なんです。明治から昭和にかけてたくさんの日本人が南北アメリカ大陸へ出稼ぎのため移民していきましたが、その子孫が日本に帰ってきたのは1990年代のこと。
きっかけはバブル時代の人手不足でした。法律が改正されて、「日系2世と3世、その家族」が日本で働き、暮らせるようになったのです。自動車産業をはじめとした製造業の街である大泉は、いちはやく日系ブラジル人や日系ペルー人を受け入れました。
いまでは大泉町の人口およそ4万1000人のうち、ブラジル国籍が約4,500人、ペルー国籍が約1,050人(※)となっています。
こうした街の紹介や、日系人関連の資料、書籍がそろっているのが、駅から東に5分ほど歩いた場所にある大泉町観光協会です。
街の見所やグルメスポットを集めた観光マップが手に入るし、レンタサイクルも用意されています。大泉を巡るときの拠点になってくれるでしょう。またウェブサイトでは観光マップのダウンロードができるほか、SNSやYouTubeでの発信も行っているので、街を訪れる前に予習にもぴったり。
その地図を見ながら、今度は駅前の大通りを西へ。5分ほどで見えてくるのが、大泉のブラジルコミュニティの中心となっているスーパーマーケット「TAKARA(正式な店舗名はアソーゲタカラ 太田店)」です。
店内はまさにブラジル、主食のひとつである豆はさまざまな種類のものが売られ、ほかにも調味料やお菓子、ブラジルの国民的ドリンクであるガラナやお酒などなど現地のものがびっしりで見ているだけで楽しくなってきます。
とくに目を見張るのは肉の充実ぶりでしょう。牛肉をメインに、ブロックの大きなカタマリが並び、壮観です。内臓も含めてさまざまな部位の肉が売られているのも印象的。
ご覧のように店内は豊富な肉類、見慣れないブラジルのお菓子や食材でびっしり。”近所のスーパー”では味わえない異国情緒が感じられます。
それとベーカリーもあって、焼きたての香りが本当にたまらないんです。チーズを練り込んだポンドケージョなど、パンの種類も豊富で目移りします。「TAKARA」の店内を見ていると、ブラジル人の肉とパンに対する深い愛情とこだわりを感じるのです。
そしてお客と店員の距離が近いことも、なんだか和まされます。親しげに声をかけ合い、店員はお客の子どもをあやしています。もちろん日本人のお客も大歓迎で、笑顔で出迎えてくれるし、食材の使い方なども親切に教えてくれます。このフレンドリーさが、ラテンのノリなのかと実感するのです。
※これら数値は大泉町発表資料「大泉町の人口」に基づきます。
いまやブラジルだけでなく多国籍化が進む
この「TAKARA」のある広場の周辺には、ほかにもブラジル系のスーパーマーケットや、「パステル」というブラジルスタイルのパイで知られたカフェなどもあって、賑わうエリアとなっています。
そのひとつが「パウリスタ」で、こちらも街の人々に大人気。平日のランチビュッフェは1,500円で肉やフェイジョン、サラダにライス、デザートも食べ放題となっています。肉はこれもさまざまな部位、焼き方のものが次々とビュッフェコーナーに並び、近隣の工場で働いている様子のブラジル人たちがもりもりと盛っていきます。あの肉食ぶりが彼らのパワーの源なんでしょうか。
週末になるとシュラスコ食べ放題2,500円を目当てに、家族連れで賑わいます。近隣の日本人にも評判となっています。
こうしてブラジルやペルーの食文化を楽しめる大泉ですが、近年はさらなる多国籍化が進んでいます。さまざまな国の労働者や技能実習生が流入してくるようになったため、ネパールやベトナム、インドネシア、カンボジアなどの食材店やレストランも増えてきたのです。
「リトル・ブラジル」の枠を超えて、インターナショナルタウンとして発展していく大泉。「日本の中の異国」を巡る小旅行にはぴったりの場所といえるでしょう。
日本各地に息づく異国の文化に触れてみよう
ここまでご覧いただいておわかりの通り、外国人街といっても、そこに住む人々によって街の表情は異なります。今回ご紹介した街以外にも、「リトル・インディア」こと、東京・西葛西、パキスタン人が多く暮らす埼玉・八潮市、通称「ヤシオスタン」、タイ人が集住する茨城県の坂東や下妻、スリランカ人の多い茨城県の常総など、全国にさまざまな外国人コミュニティが存在します。機会があれば足を運び、そこに息づく異国の文化に触れてみてください。
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編集:はてな編集部
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