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ブラフマンのRONZIさんに音を届ける移動、「ツアー」の裏側を教えてもらおう。クルマ、宿、食など、バンドの移動のこだわりを聞く
オーケストラ、駅伝の先導、真冬の宗谷岬などなど、KINTOマガジンではこれまでさまざまな「移動の裏側」をのぞいてきました。それぞれのスタイルに応じた、それぞれの移動がありましたが、これがロックバンドの場合では?ロックバンドにはライブツアーがつきもの。機材車に乗って全国各地のライブハウスを駆け回る「移動しまくり」の人たちでもあります。そんなツアーって一体どんな移動なんだろう?気になる。
こんなよくわからないテーマの取材に応じてくれたのは、日本屈指のライブバンドとして知られるBRAHMAN(ブラフマン)のドラム、RONZIさん。90年代から20年以上にわたって各地でドラムを叩き、最近では「近場で、そしてツアー先の各地で年間500杯のラーメンを食べるラーメン愛好家」としても知られるRONZIさんにとってのツアーとはなにかを聞いてみました。
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Twitter:@tacticsrecords
全国を駆け巡るBRAHMANのツアー用バンを見せてもらおう
──現在使用しているツアー用バンはどのような車でしょうか?
RONZIさん(以下、RONZI):今は2台体制でツアーを回ってますね。僕らはそれぞれ「メンバー車」と「機材車」と呼んでいます。
──ぜひ車両を見せてください。
RONZI:これがメンバー車です。ツアー用になにか改造しているわけではないですが、ちょっとしたこだわりがあって……
RONZI:シフトノブにスカルのパーツをつけています。機材車のシフトノブは、水中花タイプのものなので、それと差別化を図りました(笑)。
──では機材車は?
RONZI:機材車もハイエースです。スタッフは機材車で移動することが多いですね。
──メンバー車の運転はどなたが?
RONZI:メンバーの誰かが運転します。メンバー車は普段、僕が乗っているので、出発するときは僕が運転することが多いですね。僕やベースのMAKOTOは長時間運転することが苦にならないタイプなので、僕かMAKOTOがハンドルを握ることが多いかな。でも、メンバー全員運転できるので、疲れると自然と誰かが代わってくれるんです。
運転を代わってほしいと自分から人にお願いするのは僕にとってはすごくストレスなんですけれど、BRAHMANのツアーで誰かに「運転代わって」と言ったことは一度もないですね。何も言わずとも、みんな思いやりの気持ちでそれが自然にできるんです。スタッフの手が空いてなかったら、メンバーが機材車を運転することもありますよ。こんな風に思いやりのある人たちが集まっているから、ずっと仲良くやっていられるんだと思います。ここがBRAHMANの一番いいところかも(笑)。
──スタッフの方が運転してるのだと思っていたので、驚きました……。
RONZI:予算による制約ももちろんありますけれど、自分たちがやっているツアーなので、できることは自分たちでやる、という感覚です。
──電車移動や、ドライバーの方を入れるという手段を検討したこともないのですか?
RONZI:さっきも言った通り、メンバー全員運転できるので、検討する必要はないんじゃないかな。
──まさにDIYですね。ツアー中のクルマにはメンバーの方それぞれの決まった座席位置はあるんですか?
RONZI:ありますよ。だいたいこんな感じです。
RONZI:運転席の後ろはTOSHI-LOW。最後部は僕かMAKOTO。ギターのKOHKIは助手席に座って、運転に付き添ってくれることが多いです。
──なんだか、バンドのツアー歴の長さを感じさせるお話ですね。
RONZI:こうしてクルマ2台でツアーをするようになったのは2000年頃から。ギターやベースだけじゃなく自分のドラムセットを運ばなきゃいけないようになった、というのが理由としては大きいです。昔からハイエースを使っていたんですけど、過去乗っていたものと比べると、車内が広くなってツアーもやりやすくなりましたね。
若手バンドにとってのツアーとは?90年代の「若きBRAHMAN」ツアー秘話
──若手時代、初めてのツアーはどんな体験だったのですか?
RONZI:いわゆるツアーではないんですけれど、最初に遠征をした時のことはよく覚えていますね。佐賀出身の人が「地元でイベントをやるから来てくれ」と誘ってくれて、佐賀まで行ったんです。あのときのクルマは、たしか日産のホーミーで、メンバー4人と手伝いで付いてきてくれたTOSHI-LOWの後輩の5人で東京から出発したんです。
手伝いの子は最初「俺ひとりで佐賀まで運転しますよ」なんて息巻いてたんですけど、ちょっと運転したらサービスエリアにすーっと入っていくんです。で、「もう限界です」と(笑)。そこからは5人で交代しながら運転しましたね。片道1000km以上の道のりでしたけど、大変だった、というイメージではないですね。それよりも、初めて九州に行ってライブできるっていうワクワク感の方が大きかったと思いますね。
その後、1996年にミニアルバム(1996年に発表された『grope our way』)を出して、初めてツアーっぽいことをしたんじゃないかな。ただ、場所は佐賀、岡山、東京という。
──ずいぶんいびつなスケジュールですね(笑)。
RONZI:しかも、佐賀でライブをやって、一度東京に帰ってきてから岡山に行くっていう不思議なスケジュールだったと思います。これ、ツアーっていうんですかね(笑)。岡山もね、いざ行ってみると、なんかライブハウスの方が冷たいんですよ。聞いてみると、どうも当時の僕らのレーベルと連絡がうまくいってなかったようで、ライブハウスの方からしたら「ほんとにBRAHMANっていうバンドは来るのか?」という状況だったみたいです。おかげで、リハの後にライブハウスの方に呼び出されて、メンバー全員正座でお説教されました(笑)。
──ライブはできたんですよね。
RONZI:ライブはできたんですけど、お客さんなんて全然いない。終演後にライブハウスの方に「お疲れさん。これが今日のギャラだよ」って言われて、缶ビールを5本渡されました(笑)。当時の僕らはほんとに素人みたいなものだったので、ライブハウスの方とのやり取りの仕方なんて全然知らなかったんですね。ライブをやっていくなかで、社会性を身に付けていったようなものです。
本格的な全国ツアーを初めてまわったのは1997年のことだったかな。先輩バンドのコークヘッド(コークヘッドヒップスターズ)と一緒に回ったときですね。あのときは、コークヘッド、BRAHMANそれぞれ1台のクルマでツアーしたんですけど、コークヘッドに付いていって、ツアーのやり方をなんとなく学んだような気がします。
──当時のツアーでの移動はどんな感じだったんでしょう?
RONZI:当時のクルマにはカーナビなんて付いていなかったし、ライブハウスに行くにも宿泊先に行くにも地図頼りなんです。インターネットが普及しだしたころだったので、出発前にPCで地図をプリントアウトして持っていっていたんですけれど、それでもかなり迷ってしまう。特にライブハウスは看板を出していないようなところや、地名を聞いてもわからないようなところもあった。だから、街で「ライブハウスありますか?」って聞くことも多かったんですけど、知らない人のほうが多いし、目的地にたどり着くのはなかなか大変でしたね。
バンドの規模が拡大してもツアーの基本はDIY。キモは洗濯にあり?
──1998年に1stフルアルバム『A MAN OF THE WORLD』をリリースした頃からはバンドの人気も上がり動員も増えたと思うんですが、ツアーのやり方や状況は変わってきましたか?
RONZI:初めて自分たちのヘッドライナーツアーができたのが、『A MAN OF THE WORLD』のリリースツアーだったんじゃないかな。ツアーのやり方が大きく変わった印象はないですけど、その頃からスタッフを連れていけるようになりました。今のマネージャーがバイトを辞めてついてきてくれるようになった。お客さんも増えてきて、ライブをやっていても、たしかに手応えを感じていました。前に来た時より明らかに会場の規模が大きくなっていたり、お客さんの数が全然違ったりして、なんとなく「人気が出てきてるな」って感じていました。
──ツアーという移動がどういうものか、我々にはイメージがしにくいのですが、ツアー中はどんなルーティンで動いているんですか?
RONZI:中日があるかによっても違いますけれど、まずはライブが終わると打ち上げで飲む(笑)。そして起きたらみんなで次の土地に向かう。その繰り返しですね。ホテルのチェックアウトぎりぎりまで寝てることもあるけれど、移動距離が長いときは朝8時に起きたりもします。で、その日がライブだったら、ライブハウスに行ってリハーサルをする。そこから夜の本番までは時間があくので、元気があればその街をぶらぶらすることもありますけれど、疲れていたらクルマで寝ていることもあります。ライブハウスにはそんなに広い楽屋もないので、休憩できる広いクルマがあるとありがたいんですよ。4人全員集まって寝てたこともあります。で、ライブをやって、飲んで、次の日起きたらまた次の土地に向かうという。ライブと打ち上げを繰り返して、あとは移動という感じですね。
──長いツアーの場合、着替えはどれくらい持っていくんですか?
RONZI:それはね、本当に人によりけりです。僕はあまり洗濯の回数を増やしたくないので、メンバーの中では持って行く着替えの量は多いほう。いつも1週間ぶんくらいの服を持っていきます。他のメンバーは3日分くらいかな。どのくらい着替えを持って行くかを判断するためには、「どこで洗濯できるか」が重要なんです。だから、ツアーに行くとき泊まるホテルにコインランドリーがあるかどうかチェックします。でも、ホテルに1台しかコインランドリーがなかったりすると、たいてい他のメンバーがすでに使っていたりする。しかも「あいつ、洗濯物を入れたまま飲みにいっちゃったな」ということもある(笑)。そんな時は、近くのコインランドリー探したりとか。
──ツアーでは洗濯がとても重要な要素なんですね(笑)。RONZIさんがツアーに出る時に必ず持っていくアイテムはありますか?
RONZI:僕はTシャツは自然乾燥派なので、Tシャツを干すためのハンガーは必ず持っていきますね。それにホテルにハンガーをかける場所がないことも多いから、洗濯紐も持っていく。ただの紐のやつじゃないですよ。ハンガーがずれないハシゴ状のものをもって行くのが大事です。
ツアーとは、文字通り「旅行」。楽しいから続けていける
──バンド活動において、つねにツアーをされてこられたと思いますが、それだけに、昨今のコロナ禍が活動に影響を与えることもあると思います。BRAHMANは2021年にバンド史上初のホールツアーも開催され、普段のアグレッシブなスタイルとは違い静かな曲を中心にした形でツアーを行ったわけですが、どんな考えがあったんでしょうか。
BRAHMAN、初のホールツアー「Tour -slow DANCE HALL-」の様子。多彩な映像演出を取り入れたステージを展開し、オーディエンスがモッシュできない中でも楽しめるステージングが模索された。
RONZI:コロナ禍の様子を見ながら、なにかやれる方法はないか、と模索する中でああいう形になりました。コロナがいつ収まるか誰にもわからないですし、バンドを続けていくためにも、いつまでも何もしないわけにはいかないですからね。いろんな制約があるけれど、その制約の中で今しかできないことをやっていこうじゃないかということでやったツアーではあります。
──BRAHMANというバンドにとって、ライブをやり続けるということには、どんな思いやこだわりがあるんでしょうか。
RONZI:そもそもライブをやるのが目的でバンドをやっているので、やりたいことをやっているという、ただそれだけなんですよ。バンドを続けていく意味がライブにある。よく「BRAHMAN=ライブバンドですよね」なんて言われるんですけど、僕はそう言われるとちょっと違和感があるんです。ライブをするということがバンドのコンセプトになっているわけではなくて、とにかく好きなことをやるのは楽しいということなんですよね。ライブがやりたい人たちが集まってるのがBRAHMANなのだと思います。
──では、RONZIさんにとってのツアーというのは、どういうものでしょうか。
RONZI:「Tour」って「旅行」という意味の言葉じゃないですか。僕にとってはバンドのツアーも言葉通りの意味で、何より楽しみなことなんですよね。ライブという楽しいことをやるために、いろんな場所に行く。そしてその土地土地の美味しいものを食べる。完全に旅行ですよ(笑)。
もちろん疲れてしんどい時もありますし、本数が長いツアーだとスケジュール表を見て「まだこんなに残ってるんだ」と思うこともあります。でも、逃げ出したくなるようなことはひとつもないですね。ライブが終わって、また次の場所に移動してライブをするというのを、毎日やる。それを乗り越えて、ツアーが終わったら「ああ、充実していたな」と思う。今でも、ツアーが終わると寂しいんです。ツアーの間はずっとみんなと一緒に生活しているから。帰ってくると、急に静かになっちゃったみたいな喪失感がある。で、ついついメンバーと飲みに行っちゃうんです(笑)。
──RONZIさん、ありがとうございました!
【追加公演】超ラーメン好きRONZIさんに聞く、「ツアーに出たら絶対食べたい」ラーメン
──話は全然変わるのですが、RONZIさんは”年間500杯食べる”と言われるほどのラーメンフリークです。ツアーに出てその土地のラーメン屋さんを巡る、ということもあるんですか?
「幡ヶ谷のラーメンアイドル 好き好きロンちゃん」としてソロ活動も行うRONZIさん。公式YouTubeはほぼラーメンの話題で埋め尽くされる。
RONZI:ラーメンはずっと好きだったんですけど、各地でラーメン屋さん巡りをするようになったのは、『A FORLORN HOPE』(2001年発表の2ndフルアルバム)を出したころからですね。それ以前はお金がなかったので、あまり行けなかったんです(笑)。それにインターネットがどんどん普及してきて、いろんなラーメン情報が入ってくるようになって、知れば知るほど、そのお店に行きたくなる。朝からやってるラーメン屋さんがある、なんて聞くと、気になってしょうがなくて、パッと目が覚めてしまい、食べに行くわけです。で、せっかく地方にいるのだから、その土地でしか食べられないラーメンを食べたくなってしまうんです。
ただ、僕はお腹が一杯だとドラムが叩けないので、夜ライブがあるとしたら、お昼くらいまでに食べておかないといけない。なので、まず朝にラーメンを食べて、その足でもう2〜3杯食べる、という感じになってしまうんです。
ーまさにフリークですね(笑)。そんなRONZIさんに、ツアーに出たら必ず食べるラーメン屋さんを教えていただきたいのですが。
RONZI:じゃあ、せっかくなので、打ち上げの後に食べたくなるラーメンをチョイスしますね。
【おすすめラーメン1】大豊ラーメン 木屋町店(京都府京都市)
RONZI:木屋町店によく行くんですけれど、すごく塩味が強いんです。それがクセになって、一度食べると次の日の夜もまた食べたくなっちゃう。塩味が脳に刻まれちゃうんです。仮に京都に3日滞在するとしたら、3日通うと思います(笑)。お酒を飲んだときって塩分が欲しくなるじゃないですか。こんな欲求に応えるかのような真っ黒なラーメンです。
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【おすすめラーメン2】丸高中華そば 神戸二宮店 (兵庫県神戸市)
RONZI:ここは和歌山ラーメンの店です。和歌山に本店があるんですけれど、神戸で独自の進化を遂げたのか、本店よりも濃厚なタッチになっていて、すごく美味しい。醤油豚骨のスープが、濃厚だけどくどすぎない絶妙な塩梅なんです。和歌山でも沢山ラーメンを食べましたけれど、いちばん好きな和歌山ラーメンの店がここですね。焼き飯がまた美味しいんですよ。なので行ったら必ず焼き飯とセットを食べます。
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【おすすめラーメン3】元祖ラーメン長浜家(福岡県福岡市)
RONZI:福岡には「長浜」と掲げるお店がいくつかありますけれど、その中でも、今24時間営業をやっているのは、この店だけ。これがすごく大事なんですね。福岡は料理も美味しいし、地元の友達も多いので、ついついお酒が深くなっちゃう。その後にみんなでラーメンを食べに行きたくなった時に行ける店がここなんです。もともと長浜ラーメンは市場で働く人に素早く食べてもらうために細麺の文化ができたというルーツがあるそうで、今も早朝に行くと市場の人がいて活気がありますよ。
TOSHI-LOWもこのお店が好きで、仲間全員引き連れて行くこともあるんですけど、TOSHI-LOWは無類の「柔麺」好きなんですね。現地では柔らかく茹でた麺を「ずんだれ」なんて呼ぶんですけど、TOSHI-LOWと行くと「会計は全員分、俺。で、全部『ずんだれ』で」と、なぜか全員「ずんだれ」に付き合わされる(笑)。でもね、食べてみると「ずんだれ」にも独特な美味しさがあるって思いますよ。
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──RONZIさん、今度こそありがとうございました!
取材・文:柴 那典
撮影:関口佳代
編集:はてな編集部
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