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芥川賞作家・羽田圭介さんに聞いてみた。著書「羽田圭介、クルマを買う。」のその後
クルマなら、東京の景色をまた塗り替えられるんじゃないか、という感覚になった。
――― 書籍「羽田圭介、クルマを買う。」、楽しく読ませていただきました。そもそも、どのような気持ちの変化があってクルマが欲しくなったんでしょうか?
羽田:東京生まれで埼玉に引っ越して、という暮らしだったので、クルマがなくても生活できていたんですよね。一人暮らしをしてからも、電車で移動して生活していました。仕事をたくさんいただけるようになってからはタクシーで都内を移動することも増えてきて、すると何かまた新鮮な感じがしたんですよ。電車では見ることのなかった景色を路上から見ているうちに、自分の中で東京の景色をまた塗り替えられるんじゃないか、という感覚になったんです。無くても生活できるけど、電車の路線の範囲外にも自由に行けるようになるんじゃないか。そう思ったのがきっかけでした。
――― 国産車、外車問わず、セダン、スポーツカーなど実に60台と、たくさん試乗を重ねてきて自分の中で価値観の変化や発見はありましたか?
羽田:最初に試乗したクルマは久しぶりのマニュアル車だったんですが、自分のイメージとはなんか違ったんですよね。クルマのほうから“今のタイミングで切り替えた方がいいですよ”とかお勧めが表示されて、もはや機械のほうが適切に選択できるのにわざわざ人間に操作させてあげている、みたいな感覚になったんです。私はマニュアル車であることが結構大事だと思っていたんですけど、試乗してみて現代のマニュアル車って、もうちょっと違うんじゃないかな、と思いました。燃費だけでいったらマニュアルよりもCVT(連続可変トランスミッション)や最新のATのほうがいいし…。それでディーゼルの力強い感じがいいなと思ったりもして、いろいろ変わっていきました。でも試乗しすぎて、迷った感はありますね。試乗して予想を超えてくるものって、なかなか無い。たまにはあるんですけど、基本はどうしても減点法になってくるんです。なので、タイミングが合ったらサッと自分のクルマにして、そこからどんどん気に入っていくのが良いんだと思います。
運転するという行為が無意識に働きかけている
――― 現在、クルマを購入されて数年が経ちましたが、クルマのある生活はいかがですか?
羽田:クルマを買って最初のうちは、都内から京都に日帰りで行ったり、福知山のスイーツ屋さん経由で鳥取の温泉まで二泊三日で行ったりと、遠出していました。最初の長距離が京都だったんですけど、オートクルーズコントロールの使い方が全然わかっていなくて(笑)。行きでは全然使わずに、帰りの深夜に、サービスエリアで説明書を読んで初めて使いました。そしたら快適で(笑)。先日も、とある取材で東北のほうにクルマで行ってきたんです。東京からの距離感みたいなものを実感したくて。それで北関東くらいまでは、そこそこのグレードのクルマを見かけたんですけど、東北に入るとそういうクルマを見かけなくなって。やっぱりまだ、余裕のある層なんかがなかなか東北の方まではレジャーや遊びで足をのばしたりしないんだな、と感じました。震災があって、復興もしてきていると思うんですけど、そういうことを周りの風景から感じられたので、クルマで移動してよかったですね。
――― クルマがあったからこそ得られた経験がたくさんあるんですね。そういう経験がその後の小説に反映されたりはしたんですか?
羽田:そこは、クルマがあったから、という感じでもないかな。本や小説の題材を選ぶきっかけって、本当にどこにあるかわからない。運転中はメモできないし。でも、いつもと違うことをしている、というのは大事。何か新しいものをもたらすと思います。新幹線や飛行機で移動しているときでも、普段は思いつかないようなことを思いついたり、メモ帳なんかを開いて何か着手したい感覚になったりしますから。でもクルマって、それとは違ってある意味何もできない。運転に集中するしかない。でも、運転しかやっていないっていう脳の使い方をする機会っていうのは、ある種、筋トレに近いのかも。それに集中するしかないという点において。だから、そこに意味を求めちゃいけないんだけど、思考はほとんど無意識下でなされると思っているので、運転するという行為が無意識に働きかけているような感覚はありますね。
――― 運転と筋トレが近い、というのは面白いですね。筋トレは日々の継続が重要などと言われますが、クルマもけっこう頻繁に使うんですか?
羽田:実はそうでもないんです。基本的にクルマで移動する必然性がないと使わないですね。新幹線で行った方が楽なときはそうしますし、都内だと出先で駐車場を探すのもかなり面倒くさいので…。
クルマがすぐ使える状態じゃないと享受できない楽しみってあるんですよ。
―――クルマがある生活に馴染んできて、せっかく買ったから乗らなきゃ!という感じから、必要なときに乗るもの、というフラットな感覚になったのかもしれないですね。クルマの好みもこの数年で変化がありましたか?
羽田:実は書籍になっているところの後にも、試乗に行ったり人に借りたりして、連載は続いていたんです。今のクルマを買ってすぐに、めちゃくちゃスポーツカーが欲しい時期もありましたし、バイクのほうが刺激的で楽しめるだろうとそっちに傾倒したり。今でも、このクルマじゃなくてもよかったんじゃないか、という気持ちはあります。どのクルマを買って行くか、ということよりも、やっぱりどういう旅をするのか、ということのほうが大事なんじゃないですかね。今のクルマじゃなくても、クルマを持っていたことで得られたことは、きっと車種が違ったとしてもできたはずなんですよ。
――― “どのクルマに乗るか”ではなく“クルマでどんな経験をするか”が大切だと。
羽田:たとえばスポーツカーに乗ったところで、サーキットにでも行かない限り、公道でラインも取りもへったくれもないわけですよね。SUVは長距離向きって言われているけど、SUVじゃなくたって遠くまで行くことはできる。だから自分が快適ならば、クルマはなんでもいい。クルマを購入してもうすぐで丸5年なんですが、やっとそう思えるようになりました。でも、もしアメリカみたいに土地も広大にあって、駐車場のことを気にしないでいいなら、何台もガンガン買っていたと思います(笑)。現実的に、次に乗り換えるなら…躊躇なく売り払える車ですね。住みたい物件に駐車場がなくても、葛藤なく手放せそうだし。
――― クルマそのもののカッコよさは経験とはまた別の話で、できるならばコレクションしたいですよね(笑)。最近は若者のクルマ離れなんて言われますが、クルマでの経験は若い人にもたくさんしていただきたいなと思いますがいかがですか?
羽田:やっぱりクルマがすぐ使える状態じゃないと享受できない楽しみってあるんですよ。レンタカーの時間縛りや予約とかとは無縁の自由さが大事というか。22歳の時に小さな軽自動車をもらって乗っていたんですけど、友達とかを気軽に誘って海へ行ったりして…あの楽しさは、今どんないいクルマに乗っていたって越えられない。それって一生続くものじゃないんですよ。その年代でしか楽しめないものがある。クルマって若ければ若いほど、持っていると楽しいんです。
――― クルマで移動したからこそできる経験や旅を、ぜひ体験していただきたいですね。本日はありがとうございました!
取材/文:宮崎新之 撮影:藤田慎一郎
Twitter:@hada_keisuke
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