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10万回以上石斧を振るって丸木舟を作ったほぼ縄文人・雨宮国広さんに聞いた、古代人が移動する理由

10万回以上石斧を振るって丸木舟を作ったほぼ縄文人・雨宮国広さんに聞いた、古代人が移動する理由

移動というものがある。家から駅へ、郊外から都心、国から国へなど、我々は徒歩、電車、飛行機などでほぼ毎日移動している。過去を遡っても、狩猟採取の生活をしていた祖先の時代から人類は移動し続けてきた。人間にとって移動する行為は生きるために必要な行為なのだ。

ただ古代の移動は今のそれと勝手が違う。車もなければ、エンジンだってない。自らの足で移動する、もしくは自らの手で移動手段を作り出さなくてはならなかった。

そんな我々、日本人の祖先はどこからやってきて、どのような方法で移動してきたのだろうか?
2019年、日本人のルーツを探る「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」が成功を納めた。私たちの祖先が今の台湾から日本へ海を渡ってやってきたことを実証するためのプロジェクトで、成功の要となったのが1槽の丸木舟。旧石器時代の技術だけを用いてこの丸木舟を作った職人に、古代人がどんな技術を用いて、そしてどんな思いで「移動」したのか話を聞いた。

<この記事の目次>

  1. 縄文大工に会いに、山の麓にある縄文小屋に行ってきた
  2. 思ったよりすごかった。雨宮さんのほぼ縄文生活
  3. 石斧の使い方を習ったら、石器時代の技術の高さが分かった
  4. 丸木舟を作り海を渡るために必要なこと
  5. なぜ祖先は命をかけて大移動をしたのか?

アパートのベランダから道路を見ていると、何台もの自動車が行き来している様子が見える。毎日何処かの誰かが、何処かから、何処かへと移動しているのだ。

地主

どうもこの記事を書いている地主です!

そんな移動をぼーっと見ていると、我々は昔から移動を繰り返しながら、生きてきたんだなぁと感慨にふけってしまう。

じゃ我々日本人の先祖はどこから、どのように移動してやってきたのだろうか? 

感慨にふけるだけでなく、ちゃんと調べてみると3つのルートがあったと想定されているようだ。北海道ルート、対馬ルート、そして沖縄ルートである。(出典:「 3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」|国立科学博物館WEBページ)

3万年くらい前の話です!


北海道ルートは今より海面が低く、北海道とサハリンは陸地で繋がっていたため徒歩での移動と考えられる。対馬ルートは朝鮮半島と日本列島の距離80キロほど海を渡る必要があるが、間には対馬があったのでまだ現実的な移動であっただろう。沖縄ルートは現在の台湾をスタートし海を超えて与那国島に到達する。直線距離でも111キロもあり、間には世界最大規模の海流である黒潮も流れている。なかなかに大変なルートである。

沖縄ルートでは1本の大木を切り倒し、削って作られた木造の舟、「丸木舟」を使い移動したと推測されている。

地主

今の移動は楽だけど、当時は大変!

2016年に国立科学博物館が主導して「 3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」が行われた。簡単に言えば、3つのルートの中で一番難しいとされる沖縄ルートを我々の先祖が、本当に当時の技術だけで海を渡ってこれたのかどうか実証実験するというもの。7メートルほどの丸木舟を作り、台湾から沖縄へ実際に移動したプロジェクトだ。

このプロジェクトの要である丸木舟は、石斧のスペシャリストである1人の男の手によって作られたのだ。その人は「縄文大工」と名乗り、ほぼ縄文人さながらの生活を山梨の山麓でしているのだそう。とっても気になる!

石斧の使い方や、ものづくりの考え方、さらに祖先がどうして大変な思いをしてまで移動してきたのか?聞いてみたくなったので会いに行ってきました。

雨宮さん

ということで、その丸木舟を作った方を訪ねました!

縄文大工に会いに、山の麓にある縄文小屋に行ってきた

先のプロジェクトでは1本の杉の木から丸木舟を作っている。作る際には基本的に現代の道具を使わず、当時の人々と同じように「石斧」を使って作り上げた。木を切る、削るといった作業のほぼ全てを石斧で行うのだ。この丸木舟を作り上げたのが縄文大工の「雨宮国広」さんだ。

縄文大工雨宮さん

縄文大工の雨宮国広さん

雨宮国広さん
1969年、山梨県出身。縄文大工、建築家。丸太の皮むきのアルバイトをきっかけに、大工の道へ進む。古民家、社寺文化財修復の仕事で、先人の手仕事に出会い感動。手道具のみでの伝統的な手法に傾倒する。2009年に石斧と出会い、能登半島の真脇遺跡で縄文住居の復元に携わる。その後、国立科学博物館の日本人のルーツをたどる「3万年前の航海徹底再現プロジェクト」では、台湾から与那国島へ渡る丸木舟を制作した。現在は手道具のみで自作した小屋に暮らす。2020年に著書『ぼくは縄文大工』(平凡社)を上梓。
Instagram: jomonsangayattekita


雨宮さんは縄文大工として丸木舟だけでなく、過去には石川県能登町にある真脇遺跡縄文館に縄文小屋を制作した。現在では全国を巡って、「全長11メートルの丸木舟を子どもたちと一緒に作る」プロジェクトを行っている。もちろん作業は基本的に石斧だけで。縄文時代の人々と同じような方法でものづくりを行うほぼ縄文人だ。

そもそもなぜ雨宮さんは縄文大工になったのだろうか。

最初から縄文大工ではなくて、鉄(の斧など)やチェーンソーを使っていて、そもそも石の道具を使おうなんて思ってなかったです。たまたま石斧を研究している先生との出会いがあって、手ほどきを受けて、何気なしに作ってみたんです。それを一振りしたら、一瞬で心を奪われてしまいましたね。

雨宮さんは元々いわゆる普通の大工で、その後に宮大工となる。30歳で独立し、40歳で石斧と出会った。大工としては32年、縄文大工として12年という経歴だ。なぜ、雨宮さんはここまで石斧に惹かれるのだろうか。

鉄の道具は計画的に作れます。計算できるし寸法通りに作れるので、人が「こういうものが作りたい」と思ったらすぐ実現できる効率のよい道具です。けど、石斧には限界があるんですよね。全然思ったように作れず、まったく効率的ではない。そういうところに惹かれました。

効率的でないところに惹かれる、とはどういうことなのか?

効率だけを求めるなら、木を切るのにチェーンソーなんかを使えばいいわけです。すごい短時間で切り倒せますからね。石斧は1本の木を切り倒すのにも相当な時間がかかる。ということは木を切り過ぎることもなく、持続可能な環境を保ちながら、全ての生き物たちが幸せになるモノ作りができるんじゃないかなと。そう思って石斧でモノを作り続ける挑戦をしているんです。

石斧

これが石斧です!アトリエには数多くの石斧が並んでいた

石斧に魅了され、自然環境にも目が向くようになっていった雨宮さん。いろんな用途に使うため、これまでに100本弱の石斧を自作したそう。ただ、雨宮さんがはまったのは石斧だけではない。縄文時代の生活にも激しく傾倒していったのだ。

思ったよりすごかった。雨宮さんのほぼ縄文生活

傾倒し過ぎて、自らが縄文人となり、縄文時代のような生活を送っている。母屋の横に、土壁で作られた縄文スタイルの小屋を作り、そこで暮らしている。せっかくなので、雨宮さんの縄文ライフの一端を見せていただくことに。

縄文小屋

縄文スタイルの小屋

縄文小屋の中

小屋の中の様子

広さは雨宮さんが生活する3畳とゲストルームの3畳。24時間薪にトロトロと火がついており、煮炊きするときは風を送れば大きな火になるようになっている。私が伺ったのがちょうどお昼だったので、昼食をご馳走していただいた。

小屋の中

火を大きくして、

マグロ焼き

マグロの血合いを焼く

お米が日本で広く食べられるようになったのは弥生時代なので、ほぼ縄文人である雨宮さんはお米を食べない。魚を中心とした生活を送っている。私が行った日はマグロの血合いを焼いたものが昼ごはんだった。基本的に昼と夜の2食でいつも同じようなものを食べるそう。

マグロの血合いはその名の通り血がいっぱいあるところで、これがめちゃくちゃ美味いんですよ。めちゃくちゃ美味くて栄養がいっぱいあって、200円ってありえないんですけどね!

現代の「狩猟採集」は、なかなかに厳しい決まりがあるので、自分で全ての食べ物を狩猟採集で揃えることはできない。揃えられない食べ物はスーパーで手に入れることになる。

マグロの血合いを焼いたやつ!

マグロの血合いを焼いたやつ!

料理の時間はほとんどかからないですね。料理って普通、手間暇かけて作るもんだと思うけど、俺の場合は素材を焼くか、蒸すか、灰の中にいれるか。いたって簡単ですよ。基本的に素材そのものの味を直にいただくって感じ。

雨宮さんはマグロの血合いを鹿肉のようと言っていたけれど、確かに肉々しいワイルドな食感も適度に残っている。私は半生の鰹節のようだと感じた。焼いただけなのに、確かに美味しい。

料理

イワシのお刺身も

黒曜石でもできるんですけど、めんどくさいから日常的には包丁を使ってます。このイワシは刺身用じゃなくて加熱調理用だけど、別に生でも食べられる。限度はあるけどね!

もう一品はイワシのお刺身だった。人間国宝の刀鍛冶が作ったというその包丁は、紙を切っているかのように、イワシを3枚におろし、あっという間に刺身が完成する。これをそのまま食べる。醤油は使わない。

さらにその辺に生えている大葉をちぎり、一緒に食べると美味しいと教えてもらう。自然の恵みである。

草をむしる雨宮さん

その辺に生える大葉をちぎって口の中に入れる。

地主

どちらも美味しかった!

猫

頭などは猫に

雨宮さんは春から秋までほぼ裸、冬は半袖に短パンで生活している。靴も履いておらず裸足だ。ここでの生活を始める前は、足が冷えやすい体質だったので分厚い靴下を履いてすごしていたそうだ。それが裸足で生活し始めて1週間で足がポカポカしだした。雨宮さんが住む場所は盆地なので冬はかなり寒いけれど、裸足とほぼ裸で問題ないという。

冬にコートとかを着ている人も「寒い、寒い」って言うでしょ。

なるほど、確かにコートを着ていても「寒い」と言ってしまう。つまり服を着ていても、いなくても寒いのだ。そして、ほぼ裸の方が体が順応するようで、やがて寒くなくなるのかもしれない、雨宮さんを見る限りでは。

夏は裸が一番気持ちいいから!すぐ汗が乾くし、洗濯しなくていい。

石斧の使い方を習ったら、石器時代の技術の高さが分かった

雨宮さんに石斧の使い方を習った。厳密には使い分けがあるのだけれど、基本的には伐採も削るのもなんでも1本の石斧でできてしまう。

最初に作ったのは磨製石器。今は磨製石器のなかでもさらに原始的な歯のところだけを研ぎ上げた刃部磨製石器(局部磨製石斧ともいわれる)も作っています。磨製石器は主に縄文から弥生時代に、刃部磨製石器は旧石器時代に使われていたとされていますね。

石斧

写真右が旧石器時代の石斧。刃先の部分だけが磨かれ、鋭くなっている。写真左が縄文、弥生時代の石斧。石全体がつるつるに磨かれている

持ってみると意外に軽いが、現代の木工具になれている私はこれで木が切れるのかと疑ってしまう。

石斧体験

旧石器時代の石斧「刃部磨製石器」で木を切る

半分になっている木に石斧を振り下ろす。左右から振り下ろし、切り口を「く」の字のようにするのがポイントだ。

地主体験

頑張って石斧を振る

石斧で削った木

けど、ちょっとしか削れない!

経験のない私では、思い通りの場所にいかないし、なにより切れている感じがない。木の繊維を砕いていく感じに近い。

雨宮さん

どんどん木を削る雨宮さん、なによりも斧を振る姿がかっこいい

雨宮さんの石斧の扱い方は素人が見ても上手だと分かる。そして木を切る姿が美しい。雨宮さんが石斧を振り下ろすと「コーン」という気持ちのいい音が響く。それはチェンソーの音とはもちろん違う、染み入る音だ。聞いていて心地よい。ゆっくりと木が切られていく。

磨製石器体験

今度は縄文〜弥生時代に使われた石斧「磨製石器」で切る!

旧石器時代の石斧から、縄文、弥生時代の石斧に替えて、木を切ってみる。

驚くことに、旧石器の石斧よりもよく切れる。切れるというよりもより「えぐれる」と言った方がいいかもしれない。1打での木のえぐれ方があきらかに大きいのだ。

どちらにしろ、現代の道具と比べれば大変なのは変わりないけれど。

旧石器時代の石斧は舟や家を作るのに使われる道具に感じます。でも、縄文、弥生時代の石斧をこの手で実際に使ってみて感じるのは、木の伐採にも力を発揮する道具だ、ということです。木を切るための性能が磨かれている。

確かに刃部磨製石器は刃の部分が分厚く、伐採作業には向かない気がする。雨宮さんいわく、慣れれば刃部磨製石器での伐採もそこまで難しくないとこのことだが、私が石器時代の人だったら、木を切るなら間違いなく縄文、弥生時代の石斧を選ぶだろう。

なぜこのように石斧は進化したのだろうか?それはお米が日本に入り、山を切り開き田んぼを作るためだったのではないかと雨宮さんは話す。

痺れ

木を切る衝撃で握力を奪われる!

握力を奪われないようにするには、道具と人が一つになるという領域に行く必要があります。その領域に行くには修行ってのが必要なんですね。石器時代の人なら誰でも上手に使えるということではなく、修行を重ねて熟達していったのだと思います。

石斧は単純だからこそ難しい。これで丸木舟を作っていたのが信じられない。当時の人々の技術力はかなり高かったのではないだろうか。

丸木舟を作り海を渡るために必要なこと

そんな石斧のスペシャリトである雨宮さんに、国立科学博物館からオファーがやってきたのは2017年のこと。「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」の一環で、丸木舟制作の依頼が舞い込んできたのだ。まったくもって納得の人選である。

丸木舟

これが丸木舟です!(写真の丸木舟はプロジェクトで使用されたのものとは別のもの)

丸木舟オール

もちろん櫂(オール)も雨宮さんが石斧で削って作ったもの

丸木舟制作に使われたのは、高さ約40メートル、幹の太さが約1メートルの杉の巨木。雨宮さんは旧石器時代の石斧で巨木を切り倒した。かかった時間は実に6日間。のべ3万6千回も石斧を振り下ろし続けてようやく伐採されたのだ。さらに何万回も斧を振るい木を削り、丸木舟を整形していった。

ただ石斧を上手く使えるだけではもちろん丸木舟は作れない。

丸木舟作りでは、沈まずに外洋を何キロも航海できる「いい舟の形」が分かっていないとダメだし、そもそも造船に適した「いい木」を選別できる能力が必要ですよね。木を見極めるのも、今のように本があるわけじゃないです。ひたすら木を切って、ひたすらやり続けて、得られる技術や知識があってこそ。蓄積がないとダメなんですね。何万年、何十万年前からの積み重ねがあったから、俺も舟を生み出せたんです。

3万年前の人々にとって超難事業だったであろう「海を渡る」とは、何万年もの経験を積み重ねて技術や知識を獲得することで可能になったのだ。そもそも丸木舟を作る木も節が多くてはダメだ。こまめに枝打ちをして、節の少ない木を時間をかけて作らなければならない。

雨宮さん

当時の外洋航海は未知なる世界、現在でいえば宇宙に向かって飛び出して行くようなものですよね。そんな未知の世界に到達できる舟はどういう舟なんだ、と分かっていないと飛び出せない。しかも台湾から与那国島の間には世界最大規模の海流である黒潮が流れています。黒潮を越えて225キロもの航海に耐えられる、まさにロケットを作るくらいの、半端じゃない叡智の積み重ねがないとできないことです。動物を追いかけているだけでは絶対にできない。

丸木舟さえあれば航海できるというわけではない。あらゆる知識がないと、台湾から与那国島に到着することはできない。

「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」でもさまざまな叡智が集結してチームが編成された。考古学、人類学の教授、造船の専門家、国際シーカヤックレースの優勝者である漕ぎ手など、名だたるスペシャリスト数十人が集まり計6年をかけてプロジェクトを進めていった。

2019年7月、丸木舟は台湾をスタート。2日間かけて海を越え、与那国島へと無事到着した。この実証実験の成功によって、我々の祖先が沖縄ルートを丸木舟を用いて移動した可能性と同時に、当時の人たちが高度な知識と工作技術を持っていた可能性に真実味がでてきた。今の私にはないのに。当時の人々の力に心底感心する。

なぜ祖先は命をかけて大移動をしたのか?

ただ海を渡るリスクがものすごく高いのは間違いない。なぜそんな危険を冒して海を渡る移動を行なったのだろうか。

雨宮さん

なぜ危険を冒してまで海の向こうを目指すのか。海を渡って移動しないと命を繋いでいけない、だけではなかったはずです。この理由は、想像するに非常に人間的なところから生まれているのかなと思います。

人間的なところとはなんだろうか。

単純に丸木舟に乗るとめっちゃ楽しいし、うまく航海できるのかと考えるとワクワクするんです。低い舟なので、海面がすごく近くて、よく揺れる。まるで波と自分が同調してる気分になって、自然をすぐそばで感じられるというのかな。それが楽しいんですよね。

そういうことなのだ。移動は楽しいのだ。今では地球上で誰も行ったことがない場所はないかもしれない。だけど当時の人々はまだ見ぬ地へと期待に胸を膨らませていたのだろう。移動とはワクワクするものなのだ。

雨宮さん

笑顔が素敵!

限られた小さな地域だけで一生を過ごすよりも、いろんな場所に行って、いろんな人たちや動物と出会える方が、豊かになれるし、生を満喫できますよね。それを可能にしてくれているのが車や飛行機です。ただ、それを動かすには莫大なエネルギーが消費されているという現実にも目を向けてほしいです。人間だけが何かを他の生き物を犠牲にして楽しんでいい時代ではなくなっていると思います。現代では移動を楽しみながら、移動を通して自然環境についても考えられる人が増えたらいいなぁと。

移動を楽しむと同時に、移動により起こりえることを想像する力が現代、そして未来を生きる人には必要なのかもしれない。雨宮さんは「楽しく仲良く、おもしろく、なんですよ。この三拍子揃っているのが生きるということ」と話していた。

スマホデビューしました!

何気ない会話の流れで「スマホって持ってます?」と聞いた。

2カ月前にデビューしたんです!「子どもたちと一緒に丸木舟作りを行うプロジェクト」をやっていくのに、自分も情報を発信しなくては!と思って。その道具としてスマホを活用させてもらっています。最近はFacebookとか、LINEとか、インスタとかもやってますよ。動画を編集するのもなれてくると楽しい。友達申請が誰から来てるとか、このコめちゃくちゃかわいいじゃん、とか(笑)。

生を満喫している。

原始人がタイムスリップしても、原始人のままでは生きていけないんですよ。この時代を生きないといけないから。この時代を楽しく生きるには、今の道具が必要ですね!インスタのストーリーをあげて、どれだけの人が見てるのか、100人超えるにはどういう内容がいいのか、そういう研究もしています。だいたいこの内容は見られるな、ってのが最近分かってきて。

やはり研究熱心。縄文スタイルの小屋もWi-Fiにつながっているそうだ。かつて縄文人が失敗や成功を重ねたように、雨宮さんも日々成長している。

はやく5Gにならないかな。読み込みを待っているのが嫌なんだよね!

縄文という時代を知り、現代を知っている雨宮さんだからこそできることがある。それが縄文大工であり「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」であり、雨宮さんのモノづくりに繋がっているのだろう。

著者:地主恵亮
1985年福岡生まれ。基本的には運だけで生きているが取材日はだいたい雨になる。著書に「妄想彼女」(鉄人社)、「昔のグルメガイドで東京おのぼり観光」(アスペクト)がある。
Twitter: @hitorimono

編集:はてな編集部
撮影:小野奈那子

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