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「“クルマでモテた時代“ってホントなの?」
ひとりになりたくてクルマを運転したことはあるだろうか。
僕も若いころにはそういうことを、たまにした。
しかし、人とつながりたくてクルマに乗ったことはないと思ったのだが、ひと昔前は、女性と出会いたい男性たちがこぞってクルマに乗るような時代があった……らしい。
40代半ばの僕よりも少し上の世代の話である。
かつて「クルマでモテた時代があった」のかどうなのか、あるクルマ好きの先輩とお話をした。
「大学生になったらクルマに乗る、というのが当たり前の流れで、自然なこととして疑いもせえへんかったんよね。先輩たちがそないしていたから、憧れもあった」
「やっぱり、いいクルマに乗りたいという欲求はあったのですか」
「あった。女子を振り向かせたい、女の子と付き合いたい、という目的のために絶対に必要なアイテムだったんや」
ここまで聞いて僕は、九州の田舎に親戚がいる友人が言っていたことを思い出した。
甥っ子がぜんぜんそんなタイプちゃうかったのに、中学に上がってからみるみるヤンキーに仕上がってきた。なんでそうなってしまったのか、本人に問うてみたところ、どうやら「ヤンキーでない者、男にあらず」的な雰囲気が地元に横溢しているそうなのだ。
ヤンキーであることがモテることの最低条件なのだそうだ。そうでないと女子の眼中に入ることすらできない。
それが事実かどうかは措いて、そういう地方にそういう共通認識があるのだという。
であるなら、男は本能としてそちらへ倣わざるをえない。
先輩の話に戻ろう。
「トヨタならソアラ、セルシオ、マークⅡ。日産はシルビア、グロリア、フェアレディZ。ホンダはプレリュード、インテグラ。マツダはRX7、コスモ、ユーノスロードスターなど。先輩たちの中にはBMW、ベンツ、アウディなどの外車に乗っている人もいて憧れは強烈だったけど、国産車にもキラ星のごとくスター選手たちがおったな」
「クルマに乗って、それからどうするんですか」
「奈良の三条通り猿沢池界隈は、土日にそんな車がブンブン行列をなして、そこにいてる女の子に『俺と俺のクルマを見ろ!』とばかり、孔雀が羽根を広げるようにナンパしとった。女は女で、どんなええクルマ乗ったええ男がいるか品定めに来てる感じやった」
「猿沢池なんて、いまは亀がプカプカひなたぼっこしてるスポットですけどね」
「とはいえ、その世代の女の子がクルマのスペックに興味があったわけではなくて、『スープラの人』とか『ワタシの彼はビーエム乗ってる』という事実で満足やったはずや。車内が汚い、ゴミだらけというのはもちろん嫌われたけど、逆にクルマ大好きすぎて、土足厳禁で『靴を脱いで乗ってくれ』なんてやつも不評やったな」
「そりゃそうです。茶室じゃないんだから」
見栄をはりたい、自分を大きく見せたいというのは、男も女もちがいはそんなにないはずだが、そんなふうにあからさまにカッコつけられた時代というのは、なんというか、清々しい。が、同時に、その時代、その土地に生まれていたとしても、僕は参加していないだろうとも思う。
「やっぱりいいクルマに乗ってるとモテるということはあったのでしょうか? それとも幻想でしょうか」
「確実にあった」
先輩は即答した。
「たいしてモテなかった男が、クルマを替えただけでモテることなんて日常茶飯事。女子側にも、男とクルマをくっつけて認識するような感覚があったはず。つまり、グレードの高いクルマに乗っている男はグレードが高い。そして、そういう男と一緒にいるワタシはグレードが高い、という」
そういう単純な図式が共有されているなら、勝負は簡単。とにかくいいクルマに乗ればよかったのだろう。
「で、ドライブに連れ出すのですか」
「それが一番ラクなんよ。音楽さえ用意しておけばいいんだから」
「カセットテープですね。それなら僕もお気に入りばかりを入れて作ってました」
「その晩のドライブコースと、それにかかる時間を予測して、ロマンチックな曲をつなげたテープを一本作るとか、手の込んだこともしたで。一番いい場所で、一番いい曲が流れるようにって」
これはもう、ほとんどプレゼンであり、単に軽佻浮薄な若者の行動と斬って捨てることが憚られる。事実、先輩はその後に立派なビジネスマンになっている。
「で、何回目かのデートなら、港とか山の上とか夜景のきれいなところに連れていって、私があなたのことをどれほど大切に想っているか、滔々と説く」
「それは、若くして人間が鍛えられそうですね……」
「あるときは、話がそれて、自分のクルマがいかによいかを熱心に語ってしもたんやけど、女の子をおうちまで送っていったら、お父さんがとある外車ディーラーの社長さんで、ガレージに錚々たるクルマがずら~っと30台。大恥をかいたわ」
「やっぱり鍛えられましたね」
「夜の公園の駐車場で、赤の他人が車内で一生懸命になって女の子を口説いてる最中に、うしろからそぉっと忍び寄って、パトライトとサイレンでビビらせるいたずらもやったなぁ」
「大人ぶりたい年代なのに、子供みたいなところが出てしまうんですね」
クルマをベイトにして女の子を釣るような遊戯に明け暮れたり、クルマという個室で女性を六甲山に連れていって必死に口説いたり、若者は一生懸命に青春を燃焼させたのだ。
青春がメラメラ、ムラムラしているのが当時はわかりやすかったのだけど、やがてインターネットがエロスへの欲望とともに発展し、男が女を、女が男を求める方法が、目に見えない電脳の世界に引っこんだのである。
ここで一応、先輩に訊いてみた。
「女の子と出会うため以外に、クルマの運転自体は好きでしたか」
「そう、はじめは女の子を振り向かせるために無理してクルマ買うたんやけどな、俺はもはや、自動車を移動手段としての道具とは見ていない」
先輩は20年モノの古いクルマを所有している。それをピカピカにして盆栽のように愛でている。
「すべてのクルマが電子制御される中、今後一生出てこないアナログのよさ。脳天を打ち抜く官能のエグゾースト。爆発的加速。シフトレバーから手に伝わるエンジンの鼓動。脳内で描いた通りのラインでカーブをスムーズに美しくトレースできたときのエンドルフィンの分泌。シフトダウンのときにブリッピングでエンジン回転数をバチっと合わせることができたとき(なんのことかわからないので、興味ある人はあとで検索してください)に『いまの俺、カッコよかったやん! 誰か見てただろうか。うわ、あの人、運転うんま! って思われたんちゃうかな』などと妄想しながらひとり悦に入るわけや」
「……」
「そんなところに喜々としている俺は、女子にはさぞキモいことだろうと、やっと今ごろ気づいたな」
遠くを見つめる先輩は、今ではちゃんと幸せな家庭を持っているので、ひとまずこのあたりでお引きとりいただいて、クルマを持たない30代の後輩にも話を聞いてみた。
こちらの後輩との付き合いは10年になるが、カノジョがいたところは見たことがない。
「運転免許は持ってるんだよね?」
「はい、あります。田舎だったので免許は必須でした。高校からの進路が決まって18才になったらみんな教習所に行く空気でしたね」
ここまでは前出の先輩と変わらないわけだ。
「でも、東京の大学に行ってひとり暮らししてたら運転の必要がなくて、乗り方を忘れてしまいました」
彼の同年代には、同じようにペーパードライバーのまま運転ができなくなってしまった人が多いという。
念のため、先輩にしたのと同じ質問を投げかけてみる。
「乗れるならいいクルマに乗りたいとは思わない?」
「今も昔も、ないですね。なんでもいいとは思わないですが、外車や旧車への憧れはまったくないですね……」
彼は大企業に勤めているし、クルマがあれば趣味の登山やキャンプや遠方のサウナにも行きやすいと思うのだが、どうしてクルマを持とうと思わないのか尋ねた。
「乗るのが怖い、が一番の理由ですね。危ないという思い込みがあります。これはペーパードライバーの友人も同じことを言っていました」
「それは、自分が? それとも、人を傷つけてしまう可能性がある、ということ?」
「人に対して、です。ロードバイクに乗っていて、人を轢きそうになったことがあって、若干トラウマになってます。これが自転車ではなく自動車だったら、と思うと……」
僕は考えもしなかった回答を受けて、やや面食らった。
そうか、現代の若い人たちは自分の加害者性に対してここまで敏感なのだなと気づかされた。
「合意なき性交は犯罪」と学者たちが提言するのはいい。それはわかった。
しかし、その合意をとる方法についてはまったく不明で、誰も明示してくれない世の中において、若者たちは尻込みもするだろう。
クルマに乗って堂々と女の尻を追えばチャラいと眉をひそめられ、女性との交際に後ろ向きだと草食系だの元気がないだのと後ろ指をさされる。
その人にとって丁度いい生き方など、他人が決められるものでもない。
ただ、僕もひとりのおじさんとして、今回聞かせてもらった先輩の昔話はなんだかたのしそうだった。読者の方々は「野蛮なバブル時代」「汚らわしい」と一笑に付すだろうか。
夏目漱石は『こころ』の中で、先生にこう言わせている。
〈きたなくなった年数の多いものを先輩と呼ぶならば、私はたしかにあなたより先輩でしょう〉
何事もリスクはゼロにはならないけど、自動車の安全技術は日進月歩だし、KINTOのような少ない負担で手厚い保険のもと、クルマのたのしさを享受できるサービスも出てきている。
もちろん、自転車でもモータサイクルでも電車でもいいのだけど、若者がよいデートをして、よい旅をしてほしいものである。
いまが、のちに振り返ったときに「いい時代」であってほしい。
(了)
著者紹介:
前田将多(まえだ しょうた)コラムニスト/レザーストアオウナー
1975年東京生まれ 関西在住
ウェスタンケンタッキー大学卒業、法政大学大学院中退
株式会社電通にてコピーライターとして勤務ののち、株式会社スナワチを設立
著書『広告業界という無法地帯へ』(毎日新聞出版)、『カウボーイ・サマー』(旅と思索社)
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